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題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

今回は田中ましろさん。
かなり前、ましろさんがよく「うたのわ」に投稿されているころに、
面白い視点や切り口で切り取られた、軽いタッチの言葉の世界に
びっくりしたのを覚えています。
今回は100首もの連作の構成になった題詠で、
ましろさんの短歌の世界を堪能することができました。







001今  菜の花を自分のために茹でながら名もなき今日をあなたで満たす


菜の花は、まだ冬が続くなかで春を感じさせてくれる食材だ。
沸騰したお湯のなかでさっと菜の花を茹でながら、ふと思い出すのは「あなた」のことだ。
「菜の花」という語から、すこし苦味を伴う、苦しい想いを考えてしまう。
大事なひとでありながら、どこかで痛みや苦さを感じているのだろうか。
長い長い冬のおわりに感じる春の気配と、
作者のなかにある「あなた」への想いが重なっていて、
ささやかな日常のなかにちいさな詩の世界が存在している。


018希  えんぴつの先に止まっていた午後を希釈してこれからの話を


「えんぴつの先」という極めて小さな部分に濃縮されていた午後の時間とはなんなのだろう。
その先につづく話はどんなことだろう。
ほどかれていくのは、止まっていた時間であり、話をするものの気持ちなのだろう。
強く凝縮されていた想いを薄めて互いに向かい合った時には、
どれほどの話ができるものだろう。
きっとたくさんの言いたいことや強い気持ちがあったはずなのだが、
濃度をうすめた後に伝えられる気持ちとはどのくらいなのだろう。
作者のなかの相手への気持ちの強さと、その一方で、取るべき距離感とを考えてしまう。


043輝  タイピング音に似ている雨の死をかさねて空は輝度をうしなう 


静かに降り続く雨なのだろう。
誰かがたたくタイプの音に似た雨音にじっと耳を傾けている。
雨が地に接する音を「雨の死」とする発想が興味深い。
数えきれないほどの死を奏でながら、空は深く、重い色をしている。
鈍いいろの空は作者の内面の反映ともいえる。
作者にとって雨音はだれかの死を悼んでいる音なのかもしれない。
何ができるということもなく、ただただ雨音に耳を傾けている、静かな追悼の儀式。
とても重さのある情景なのだろうけど、静かな雨の日の景色が浮かんでくる。


057紐  散ることは運命という手のひらに紐解かれゆくわたしのおわり


抗えない状況にいるのだろう。
無情な現実になす術もなく結末を突き付けられている悲壮な感じがする。
と同時に、自分の結末をわりと冷静に突き放して見ているような感じもするのだ。
自分にやってくる結末なのに、それを外側から俯瞰しているような印象がある。
「わたし」が運命のてのひらで解体される、というのはダイナミックなとらえ方でもある。
「わたしのおわり」は、どこかで予感していたことなのかもしれない。


096拭  いなくなるための準備をするように背伸びしながら窓を拭くひと


すこし不吉な印象のある歌だと思う。上の句での直喩のせいだろう。
「窓を拭く」という行為について、単なる掃除ではなく、いろんな意味を考えてしまう。
なにかの痕跡を消してしまいたいのか、空間を清めたいのか。
残酷な発想だが、きれいに拭き終わった窓からそのまま飛び降りてしまうんじゃないか、
なんてことまで思い浮かんだ。
近いうちにやってくるだろう別離を予感させて、苦しくなる。
「背伸びしながら」という具体的な描写がリアリティを感じさせるものであり、
相手を見ているときの作者の注意深いまなざしを思わせる。






まず最初に、要になる1首を詠んで、そこから100首の連作にする、という発想も
大変、面白いものでした。
いまではご自身でフリーペーパー「うたらば」を企画・発行されたり
イベントを開いたり、とてもエネルギーのある、ましろさん。
そのパワーには脱帽します。
これからもっと広がっていくだろう活躍ぶりを、遠くからではありますが
応援したいな、と思います。

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2012.12.29 Sat l 題詠2012 鑑賞 l コメント (0) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

今回は、飯田彩乃さん。
結社への参加、短歌関連のイベントでの活躍、と
とても積極的でポジティブなイメージのある彩乃さん。
お歌もとても個性的で、読んでいて面白かったです。





005点  知らぬ間に肩の上にいた濁点を夜の空へと放ってやった


肩の上にいるのが「濁点」とは面白い表現だな、と思った。
疲れ、穢れ、ストレス、いろんな内容が浮かぶのだが、
それらをひっくるめて言い表しているようだ。
仕事の帰り道かもしれない。忙しい日中は気づかなかった重みにふと気づくことがある。
勢いよく夜空に重荷を解放してあげたら、きっとまた明日を別の気持ちで迎えられるはず・・・。
都会の空にはだれかが放った濁点がいくつも散らばっているのだろう。
「放ってやった」という勢いのある言い方が1首を救う効果を持っていると思う。


009程  変声期は追ってくるもの音程を踏み外してまた野ばらを歌う


「野ばら」はシューベルトの代表的な歌曲である。
少年たちの美しい歌声のなかに蘇る、野ばらの咲く世界。
けれど、そろそろその美しい歌を歌える季節ともお別れのようである。
成長のあかしでもある変声期。望もうと望むまいと、
大人になるための準備はあらゆる形で確実に迫ってくる。
別れを告げなくてはいけないのは、もう二度と戻ってこない少年期そのものに対してなのだ。
もう少し、あともう少し・・・止まらない時間の流れの中で何度も何度も歌われる曲の切なさ。
「音程を踏み外して」が思春期の不安定で不器用な感じを出していて、また興味深い。


030敗  口づけるほどに頬と頬よせ合って僕らは甘く腐敗してゆく


恋人と過ごすふたりきりの時間は甘く濃密な時間である。
あまい香りに満ちた閉じられた空間で、口づけ、抱き合っているうちに、
しかしなにかが変質していく。
熟れた果実がなにかと触れ合った部分から傷んで腐食していくように、
恋人とは甘い時間をともにしながら、
同時にいつかおこるかもしれない崩壊の危険を共有しているのだ。
愛し合いながら、同時に壊れていくものがある。
恋のなかにある「僕ら」の甘さと危うさが強く出ていて、
1首全体から、香りのつよい香水のような印象があった。


086片  春の水に少しずつ足を差し入れる僕らは永遠(とわ)の片隅にいて


春先の湖か、海辺だろうか。
まだ冬の名残を含んでいるだろう、冷たい水にゆっくりと足をつけてみる。
その冷たさを共有するのは、僕らだけ。僕らのほかにはだれもいない光景がひろがっている。
ひんやりとした空気のなかの静かな儀式のようだ。
「永遠の片隅」という表現がはかなくて、なんだか厳かな雰囲気だと思う。
僕らはいつまでもは、一緒にいられないのかもしれない。
けど、ずっと記憶の中にこの光景は残っていくのかもしれない・・・。
今日の静かな出来事はあくまで、時間の大きな流れの中では片隅であり、
それ故の美しさなのだ。


090舌  舌打ちに転じる前のs音を取り残したまま送信をせり


メールを送信するほんの少し前の瞬間をうまく切り取ったな、と思う。
「s音」という極めて小さなところに着目している。
しかも、「舌打ち」になるはずだった音だから、いらいらした気持ちの残骸といっていいだろう。
相手に対してのイラついた気持ちを、なんとか抑えてのメールだろうか。
ぶつけるわけにもいかない気持ちが送信しおわった作者のまわりにだけ、
ごみ屑のように散らばっている感じがする。
「舌打ち」「s音」「残した」「送信をせり」といったサ行の音の連なりも
どこか乾いた気持ちや関係の表れとして面白い効果を出している。
すでに手元を離れていったメールと、まだ周りに残っている気持ちとの対比が
面白い1首だと思う。







去年の題詠2011で、彩乃さんは完走後に、
多くの方のお歌の鑑賞の記事を投稿しておられました。
そのブログを拝見していて、私も今回は鑑賞までやってみよう、とおもったので
今年の題詠で、今度は彩乃さんのお歌から選歌させていただけることには
なんだか感慨深いものがあります。

女性らしい感覚と、大胆で面白い発想や言い回しがミックスした感じのある
彩乃さんのお歌。
これからもどんどん上達していくんじゃないかなぁ・・・・と
期待しつつ、今後のお歌も楽しみにしたいと思います。



2012.12.16 Sun l 題詠2012 鑑賞 l コメント (2) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。


今回は砂乃さん。
前から、うたのわでお歌を拝見していました。
母親の視点で詠まれたお歌が印象に残っています。






009程 清廉な良妻賢母に程遠き私はチキンラーメン手に取る


あぁ、あるある、と思う方はたぶん多いとは思う。
妻でもあり母でもあり、まして仕事もあれば、やることが多くて全てにはとても手が回らないし、
適当なところで手を抜くのも仕方ないじゃない、って
次第にあっさりと割り切っていく。
現実によくあるタイプの女性の特徴で、わりとからっとしている性格がうかがえる。
固い印象の漢字が並ぶ上の句と、
「チキンラーメン」という語でより引き伸ばされた印象のある下の句との対比も面白い。


021示 かなしげなマークと誤認してしまう「示(じ)」は「〒(ゆうびん)」に涙二粒


文字を分解して本来の意味とは違うことに気が付く、それは発想の勝負なんだろう。
わたしは自分ではこういうタイプの歌をあまり詠まないが、
作品として接したときに、着眼点の面白さに魅かれるのだ。
上の句の「誤認」という語が示唆的である。
普段だったら気づかない「示」の一語のなかの隠れた悲しさを見つけ出すのは、
見る者もまた孤独なとき、ということだろうか。
上の句で提示したことを下の句で明かしている構造も興味深い。


034聞 月食は月からこぼれた相聞歌 しまいこんでた返歌を探す


次第に欠けていく月の様子を、相手が寂しさを訴える「相聞歌」という発想が面白い。
月食という自然の現象と、ひとの気持ちとがつながっている、という発想はなんだか、
はるか遠い昔の人々のなかにあった発想のようだ。
ほんとうは、もっと前に贈るはずだった歌を贈り損ねてしまっていたのだろうか。
贈る勇気がなかったのかもしれない。意を決して、ようやく贈るであろう返歌。
相手に返歌が届いたとき、きっと月はもう元通りの姿だろう。


036右 ゆっくりと確かめてみる右肺を切り取った後の祖父の溜め息


今回の砂乃さんの題詠のなかで、もっとも印象深かった1首である。
病室での1シーンだろうか。
肺を病んだ、祖父の吐く息の重さ、聞こえる呼吸の真摯さ。
身体の一部を失いながら、生きることは、なお続いていく。
身体から出ていく息、という普段はほとんど意識して聞くことのない音を
改めて聞いていることの重み。
祖父のもらした溜息の音を、いま作者が聞いて受け止めている、その静かさのなかにこそ、
これから続いていく時間の源泉があるのだ。


055きっと 幼さが薄れてにょきっと伸ばされた息子の足のはみ出る炬燵


「きっと」「むしろ」といったお題を、意味そのままではなく、
ほかの単語の一部の音として詠みこんでしまう、という詠み方も面白いなと思った。
育ちざかりの息子の足が、遠慮のない様子で炬燵からはみ出している光景が容易に浮かぶ。
どこにでもある家のなかの光景だけど、改めて思い出すとなんだか、
クスリと笑ってしまう可笑しさがある。冬のある日の、いつもの光景。
母親の視点から切り取った、家族の1枚のスナップ写真のようだ。





今回、選ばせていただいて、改めて家族を詠んだお歌が印象に残りました。
なんでもない日常のなかの一コマ、ちょっとした思い出、
他愛ないいつもの会話・・・・。
もちろん、いろいろと創作は入っているとは思いますが、
毎日の暮らしのなかの光景を歌のなかで再現されているのかな、
と思いました。
読む側もまた、いつか自分の家の中であったことや、周りであったことを
思い出しながら読んでいく、共感する、そんな楽しみがあるのかもしれません。




2012.12.08 Sat l 題詠2012 鑑賞 l コメント (2) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

今回はさとうはなさん。
女性らしい繊細な感覚と愛らしい印象をもつお歌が多い、はなさん。






004果  身のうちにためらひはあり ひとふさの果実分け合ごとき出会ひに


「ひとふさの果実」という語からやはり葡萄を思い浮かべる。
いくつもの粒の集合体である葡萄。
すぐにははかりかねる相手との関係や距離を自分の中で、
なんども問いながら日々を過ごしている。
それは葡萄を一粒ずつ口に運ぶ仕草に似ているのかもしれない。
そして、相手も同じように内心では戸惑っているのかもしれない。
「ひとふさの果実分け合うごとき」という直喩が巧みだなと思った。
もしかしたら恋かもしれない、いや違うかもしれない・・・
最初の淡い気づきとためらいの感情が詠まれていて、とても初々しい。


035むしろ  むしろ闇 花はこびゆくゴンドラがしずかにひらく春の水面は


初句の断定が潔い。
うららかな春の光景。春の川、ゴンドラ、花、みな美しい季節だけれど、
美しいものが通っていく過程で、ひそかに存在する闇に気づいてしまう。
湖の水に深い深い哀しみが潜んでいるのだろう。
どこまでも美しい世界に、たしかに存在する冷たい哀しみ。
けど、しずかにその闇の深淵をみつめているようだ。
作者のなかには、そんな覚悟があるのかもしれない。静寂をたたえた美しい1首である。


059貝  八月の波打ち際の駅長に切符のごとく渡す巻貝


絵本か童話の挿絵になってしまいそうな1首だな、と思った。
「巻貝」はいつかの海での思い出の象徴だろうか。
「駅長」はかつての作者を知っているひとだろうか。
駅も電車もむかしと変わらず海のそばに存在していて、
その一方で、ながいながい時間の果てのふたりの再会だろうか。
「切符」はなにかの決意のあらわれだろうか。
夏の盛りの海辺なのに、とても静かで、ほかの人たちの夏の時間とは切り離された空間が
ひっそりと成立している。
波の音や潮の香まで感じられるような情景である。


064志  口づけが未遂に終わる放課後の固い意志など音符のようで


きっとたやすくは遂げられない恋なのだろう。恋しないほうがいい相手なのかもしれない。
今日は「未遂」のままでおわった口づけ。
相手への高まる気持ちを封じていられるのは、いつまでなんだろう。
ポロン、と一音髙く鳴って終わる音符の脆さがこれからの関係の暗示だろう。
「未遂」はあくまで今日のかたちであって「固い意志」といいながらこれからのことはわからない。
とても危ういバランスの上にいる、不安定さや戸惑い。言いさしの結句が余韻を残している。


071籠  傷ついた記憶はやがて香るから誰もがひとつ花籠を持つ


読んでみて、なんだか救われるような印象があった。
「傷ついた記憶」はきっと、誰しもひとつやふたつではないのだろう。
いくつもの記憶がいつか香を放つころまで、そして香りだした後も、
ずっと抱えていくための、花籠を持っている。
おそらく外からは見えないであろう、
その美しい花々の籠をそっと見守っているような視点を感じる。



とても繊細で甘やかな歌が多いですね。
はなさんの中にある、いくつもの幻想的なシーンを
歌をつうじて見ているような気がします。
これから先も、内にある感覚を大事にして詠んでいってもらえたらと思います。


2012.12.01 Sat l 題詠2012 鑑賞 l コメント (2) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

今回はケンイチさん。
スイスに住んでいたころに短歌を詠み始められたそう。
お歌の中にただよう旅情や異国の雰囲気がとても印象的です。





001今  人びとの離れゆく闇にゐ残りて今宵は白く纏まる吐息


冬の夜、周りの人たちは次第に離れ去っていき、
自分ひとりがぽつんと取り残された状況が浮かぶ。
旅先での見知らぬひとたちばかりの街の一角にいるのかもしれない。
自分の周りにあるのは冷たい冬の夜の闇。
闇の中でむしろはっきりと見えるのは、自分の吐く白い息だけ。
「纏まる」という語の印象で、確かなものが吐息という儚いもの、という危うさを感じる。
しかし、その息も頼りなく漂い、やがて消えていく。
しんしんと冷えてくる真冬の光景が浮かんで、とても深い孤独の歌だ。


004果  世のすべて果つればやむか君去りし道をおほへる春雨の音


「世のすべて果つればやむか」という強い問いかけが痛ましい感じだ。
親しい人を失ったのだろうか。かなしい決別のあとだろうか。
春の雨には優しいイメージがある。あまり強くない雨がしとしとと降る。
優しい春の雨も、傷を負った者には響かないことがあるのかもしれない。
かつて君が歩いた道、あるいはふたりで歩いたこともあったかもしれない道を
延々と雨が濡らしている。問う相手はもう雨しかないのかもしれない。
誰もいない道の上に、君の背がぼんやりと浮かんで、すぐに消えてしまうのだ。


032詰  薄紅のみちの詰みゆく夕ぐれの湖(うみ)にいつかの千鳥のあそぶ


「みち」「詰み」「うみ」「いつか」「千鳥」といった、イ行の音の連なりが心地いい。
時は夕暮れ。
上の句が少々、イメージしにくかった。おそらく、夕焼けのなかの長く続く道の先に、
夕日のいろをたたえた湖が広がっているのだろうけど。
「いつかの千鳥」ということは、今見ている千鳥が群れている光景を、
かつて、たとえば幼いころに見たことがあるのだろう。
むかしと今とが、夕暮れのひとつの光景のなかで、うっすらと混ざっていく、幻想的な歌だと思う。


037牙  水無月の葡萄牙(ぽるとぐある)にも雨ふれば君を忘れて市電(とらむ)は揺れり


ケンイチさんには、海外で暮らした経験があるので、
お歌の中にも外国の風景が浮かび、旅情が漂うときがある。
そのまなざしや感情のにじみかたが、私はとても好きだ。
ポルトガルの6月というと、乾季にあたるので、降水量は少ない。
珍しく雨の降った日、小さな市電に乗って、作者もその中で揺られているんだろう。
歴史のある街並みのなかを、市電はいつもと変わらずに走っていく。
ただ、かつて親しかった君の姿がもうないのだ。
どんなに親しかったひとでも離れてしまえば、だんだんと記憶の奥へと去っていくのだろう。
ゆっくりとした揺れる動きと気持ちの変化とが呼応しているようだ。
市電、という伝統的な乗り物を持ってきている点もいいと思う。


076桃  扁桃の花にまろびぬ早春は少女の胸のふくらみのごと


扁桃は、アーモンドの和名である。
春のはじまり、桃の花によく似た、可憐な花が咲く。
淡いピンク色の花の咲いていく光景は、早春の眺めというにふさわしい。
まだ冬の寒さを感じているときからゆっくりと進んでいく春のはじまりは、
すぐには自分に起こっている変化についていけない、あどけなさの残る少女の成長と
似ているのかもしれない。








日本人がもつ繊細な感覚と、異国の雰囲気とがまざりあったお歌が
とても素敵だと思います。
ケンイチさんの眼を通して描かれる光景や旅情を
これからも期待して待ちたいと思います。



2012.12.01 Sat l 題詠2012 鑑賞 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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