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題詠2012の鑑賞を前回の記事にて終えました。
もう1月末になってしまい、
ぎりぎりだったなぁ・・・・と反省。

お歌を選んだ上に感想とか評までつけるのは
緊張しましたが、とても楽しく学ぶこともありました。

御作からの選歌をこころよく了承してくださったみなさま、
ほんとうにありがとうございました。
ひとつのお題からうまれてくる、
いろんな方の世界をみることができて、楽しかったです!




もう少ししたら、題詠2013が始まりますね・・・。
もちろん参加を予定しておりますが、
今回、学んだことをいかして、さらにいい歌を詠んでみたいですね^^
今年はどんなお題に悩み、突破して、完走できるのか、
・・・わくわくします。
皆さんのお歌を拝見することも楽しみにしております。





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2013.01.28 Mon l 題詠2012 鑑賞 l コメント (0) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

最後の回は、浅草大将さま。
「うたのわ」では初期のころから、おもに古典和歌を詠まれている方で
格調高い歌と、その基になる教養はずっと、尊敬してきました。

私では、とても評はできないのですが、
印象に残ったお歌を引かせていただきたいと思います。





026シャワー  春雨やふるきいはれは人知れずライシャワー館ひそと立ちたり


「ライシャワー館」は明治時代末期に日本に滞在した
ライシャワー博士一家の住まいであった洋館である。
洋館はその美しい外観で、日本のなかで異国の雰囲気をまとって存在している。
「春雨や」という初句のはじまりによって、歌の世界がすっと広がっていく感じがする。
博士夫妻の二男であったE.O.ライシャワー博士のその後の駐日大使としての活躍や
ライシャワー事件のことも、「ふるきいはれ」のなかに含まれるのだろうか。
なにが起ころうと淡々と流れていく時間のなかの洋館の佇まいを、
雨の日の情景と重ねて思い浮かべる、味わいのある一首である。


048謎  謎めけるその微笑みを逃れたしひたおもてなる永遠のモナリザ


題詠「謎」の歌であり、折句「なぞのひと」という仕組みにもなっている、
凝ったつくりの歌である。
「モナリザ」というあまりにも有名な画を思うときには、やはりその微笑を思うのだ。
圧倒的な存在である、あの微笑から「逃れたし」とは、
ある意味では実に素直な発想なのだと思う。
あまりにも偉大な画のなかの人物は、相対したときに
すべてを見透かされてしまうような迫力を持っているに違いない。
だからといって願うように逃れられるかというと、そうもいかない。
魅了されて動けなくなってしまうものなのだ。


073庫  いつしかに武庫の川かぜ春さびておぼろなる尾の夕月の影


早春の川辺の光景が広々と思いうかぶ一首である。
吹いてくる風のあたたかさに春の気配を感じて見上げると、
ぼんやりとした月がでている・・・とても素朴だけど、
いつのまにか巡ってきた春の訪れの描写としてとても美しい。
下の句の「おぼろ」と「尾」や、「夕月」と「影」という音の配置も、
全体の美しさをつくりあげるうえで大事な役割を果たしていると思う。


077転  霜とかす風あたたかき春野辺の名もわか草に転ぶたまみづ 


「風」「春」「名」「転ぶ」といった、各句の頭に置かれた、
ア行の音の連なりが心地いい。そのおかげで一気に読めるリズム感があると思う。
こちらも春の訪れを詠んでいるのだが、
「たまみづ」に連なる語のおかげでとても勢いがあると思う。
春の胎動をあざやかに切り取った一首だ。


091締  一締めの千代紙むなし群鶴を折り初めにしに君逝きたまふ


しみじみとした切なさがただよう挽歌である。
千羽鶴を折る、という行為はすごく重みのある願いごとがあるのが前提である。
病気の快復や生命の存続といった願いのひとつの形であったろうに、
その「折り初め」に相手はこの世を去るのである。
遺されたものの無念のあらわれと化した折り紙の鶴は、しかしそれでも美しい。
切々とした気持ちが静かに伝わってくる、重みのある歌である。




とても美しく、技巧や教養も盛り込まれたお歌が多いので
選などできるのかどうか、ずっと迷っていました。
でもせっかくの機会ですから、選歌をさせていただけて、よかったと思います。

私自身が文語でも詠むようになって、改めて大将さまのもつ教養や
和歌の奥深さに気づけるようになりました。

これからも大将さまのお歌を楽しみにしております。








2013.01.27 Sun l 題詠2012 鑑賞 l コメント (0) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

今回は飯田和馬さん。
飯田和馬さんのお名前を記憶したのは、たしかうたらばがきっかけだったと思います。
ユーモアのある視点と鋭い着眼点の両方が活きたお歌で
読んでいて楽しいものが多いですね。





011揃  訪れた孤独に僕は注意した。へへっと奴は靴を揃えた


「孤独」という人が感じる感覚を、いきなりやってきた友人みたいに
扱っているところが実に面白い。まるで、漫画のなかの一コマのような軽さがある。
「へへっと」という、いたずら者のような雰囲気もいいなと思う。
飄々としたタッチの描き方にとても斬新な印象を受けた。
「孤独」にむかって注意する作者も、靴をそろえる「孤独」にも一見、深刻さはない。
だが「孤独」という抑えがたい感情に対して、
「あぁ。またやって来たな」くらいの達観がうかがえて、
笑ってしまうと同時になんだか、すこし感心してしまう。


043輝  極私的乾燥注意報ぼくは輝くことを忘れた魚


まず目を引くのが、上の句にきっちりと配置された漢字の連なり。
しかも「極私的」乾燥注意報、という独特の用語である。
ほかの誰でもない、自分ただひとりにとっての「乾燥注意報」なのだ。
カラカラに乾いてしまった感覚が「輝くことを忘れた魚」という
下の句を導いていて、読者をどきりとさせる。
自分の理想とか夢が干からびてしまった、という感覚は、
忙殺されているひとなら思い当たるふしがある感覚なのだが、
この歌で「注意報」という提示のされ方を受けて、改めて突き付けられるのだ。


047ふるさと  干し葡萄をぶどうに戻すように見る君の瞳に君のふるさと


上の句の直喩がユーモラスで、どこか優しげな雰囲気を出している。
しわしわの干し葡萄は酒に浸して柔らかくしてお菓子作りなどに使うのだけど、
ぶどうに戻る、ということはもちろんない。
そこをあえて「ぶどうに戻すように見る」というあたりが、
なんとなく作者の「君」への真剣さが出ているように思うのだ。
じっと見ていると、君の瞳のなかに浮かぶ「君のふるさと」
・・・なんだかほのぼのした空気が感じられてとても素敵な1首だと思う。


067鎖  秋雨は萎れた青いブランコにうっすら座る鎖を伝い


すこし物悲しい歌である。冷たい秋雨の様子を丁寧に見ていて、
「ブランコに座る」とは面白いとらえ方である。
誰もいない公園の古いブランコを雨が濡らす様子をとらえるのに
「うっすら」の一語が効いている。
結句の「鎖を伝い」といういわば当然のことをあえて言うことで、
しとしと降っている静かでゆっくりとした雨の様子を今一度、読者は思い描くことになる。
晴れの日なら子供たちが遊んでいるだろうブランコに
今日は雨が代わりに座っている、そんな雰囲気があるのだ。


073庫  冷凍庫に隠れて時をやり過ごし知りたい夏を待つ雪だるま


想像すると、とても面白い光景だ。
「雪だるま」の一語にかかっている序詞のような一連の語群がとてもユーモアがある。
「雪だるま」にも見事に人格があって、未知の季節である夏まで
こっそりと隠れているなんて、楽しい発想だ。
思わず笑ってしまうような楽しさと、リズムよく一気に読める勢いがある。
「冷凍庫」「隠れて」「やり過ごし」「知りたい」といった語の中のラ行の音が
とても軽やかなリズムを生んでいて、効果的である。





読んでいておもわず、くすりと笑ってしまう楽しいお歌が多くて
選歌も楽しかったです^^
気楽に読めて楽しいのだけど、よく見るととても鋭い発想やテクニックも隠れていて、
その両方が飯田和馬さんのお歌の持ち味なのかな、と感じました。

これからも楽しいお歌に期待したいと思います。







2013.01.19 Sat l 題詠2012 鑑賞 l コメント (0) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

今回は田中ましろさん。
かなり前、ましろさんがよく「うたのわ」に投稿されているころに、
面白い視点や切り口で切り取られた、軽いタッチの言葉の世界に
びっくりしたのを覚えています。
今回は100首もの連作の構成になった題詠で、
ましろさんの短歌の世界を堪能することができました。







001今  菜の花を自分のために茹でながら名もなき今日をあなたで満たす


菜の花は、まだ冬が続くなかで春を感じさせてくれる食材だ。
沸騰したお湯のなかでさっと菜の花を茹でながら、ふと思い出すのは「あなた」のことだ。
「菜の花」という語から、すこし苦味を伴う、苦しい想いを考えてしまう。
大事なひとでありながら、どこかで痛みや苦さを感じているのだろうか。
長い長い冬のおわりに感じる春の気配と、
作者のなかにある「あなた」への想いが重なっていて、
ささやかな日常のなかにちいさな詩の世界が存在している。


018希  えんぴつの先に止まっていた午後を希釈してこれからの話を


「えんぴつの先」という極めて小さな部分に濃縮されていた午後の時間とはなんなのだろう。
その先につづく話はどんなことだろう。
ほどかれていくのは、止まっていた時間であり、話をするものの気持ちなのだろう。
強く凝縮されていた想いを薄めて互いに向かい合った時には、
どれほどの話ができるものだろう。
きっとたくさんの言いたいことや強い気持ちがあったはずなのだが、
濃度をうすめた後に伝えられる気持ちとはどのくらいなのだろう。
作者のなかの相手への気持ちの強さと、その一方で、取るべき距離感とを考えてしまう。


043輝  タイピング音に似ている雨の死をかさねて空は輝度をうしなう 


静かに降り続く雨なのだろう。
誰かがたたくタイプの音に似た雨音にじっと耳を傾けている。
雨が地に接する音を「雨の死」とする発想が興味深い。
数えきれないほどの死を奏でながら、空は深く、重い色をしている。
鈍いいろの空は作者の内面の反映ともいえる。
作者にとって雨音はだれかの死を悼んでいる音なのかもしれない。
何ができるということもなく、ただただ雨音に耳を傾けている、静かな追悼の儀式。
とても重さのある情景なのだろうけど、静かな雨の日の景色が浮かんでくる。


057紐  散ることは運命という手のひらに紐解かれゆくわたしのおわり


抗えない状況にいるのだろう。
無情な現実になす術もなく結末を突き付けられている悲壮な感じがする。
と同時に、自分の結末をわりと冷静に突き放して見ているような感じもするのだ。
自分にやってくる結末なのに、それを外側から俯瞰しているような印象がある。
「わたし」が運命のてのひらで解体される、というのはダイナミックなとらえ方でもある。
「わたしのおわり」は、どこかで予感していたことなのかもしれない。


096拭  いなくなるための準備をするように背伸びしながら窓を拭くひと


すこし不吉な印象のある歌だと思う。上の句での直喩のせいだろう。
「窓を拭く」という行為について、単なる掃除ではなく、いろんな意味を考えてしまう。
なにかの痕跡を消してしまいたいのか、空間を清めたいのか。
残酷な発想だが、きれいに拭き終わった窓からそのまま飛び降りてしまうんじゃないか、
なんてことまで思い浮かんだ。
近いうちにやってくるだろう別離を予感させて、苦しくなる。
「背伸びしながら」という具体的な描写がリアリティを感じさせるものであり、
相手を見ているときの作者の注意深いまなざしを思わせる。






まず最初に、要になる1首を詠んで、そこから100首の連作にする、という発想も
大変、面白いものでした。
いまではご自身でフリーペーパー「うたらば」を企画・発行されたり
イベントを開いたり、とてもエネルギーのある、ましろさん。
そのパワーには脱帽します。
これからもっと広がっていくだろう活躍ぶりを、遠くからではありますが
応援したいな、と思います。

2012.12.29 Sat l 題詠2012 鑑賞 l コメント (0) トラックバック (0) l top
題詠2012を完走された方のお歌から5首、選んで鑑賞させていただいています。

今回は、飯田彩乃さん。
結社への参加、短歌関連のイベントでの活躍、と
とても積極的でポジティブなイメージのある彩乃さん。
お歌もとても個性的で、読んでいて面白かったです。





005点  知らぬ間に肩の上にいた濁点を夜の空へと放ってやった


肩の上にいるのが「濁点」とは面白い表現だな、と思った。
疲れ、穢れ、ストレス、いろんな内容が浮かぶのだが、
それらをひっくるめて言い表しているようだ。
仕事の帰り道かもしれない。忙しい日中は気づかなかった重みにふと気づくことがある。
勢いよく夜空に重荷を解放してあげたら、きっとまた明日を別の気持ちで迎えられるはず・・・。
都会の空にはだれかが放った濁点がいくつも散らばっているのだろう。
「放ってやった」という勢いのある言い方が1首を救う効果を持っていると思う。


009程  変声期は追ってくるもの音程を踏み外してまた野ばらを歌う


「野ばら」はシューベルトの代表的な歌曲である。
少年たちの美しい歌声のなかに蘇る、野ばらの咲く世界。
けれど、そろそろその美しい歌を歌える季節ともお別れのようである。
成長のあかしでもある変声期。望もうと望むまいと、
大人になるための準備はあらゆる形で確実に迫ってくる。
別れを告げなくてはいけないのは、もう二度と戻ってこない少年期そのものに対してなのだ。
もう少し、あともう少し・・・止まらない時間の流れの中で何度も何度も歌われる曲の切なさ。
「音程を踏み外して」が思春期の不安定で不器用な感じを出していて、また興味深い。


030敗  口づけるほどに頬と頬よせ合って僕らは甘く腐敗してゆく


恋人と過ごすふたりきりの時間は甘く濃密な時間である。
あまい香りに満ちた閉じられた空間で、口づけ、抱き合っているうちに、
しかしなにかが変質していく。
熟れた果実がなにかと触れ合った部分から傷んで腐食していくように、
恋人とは甘い時間をともにしながら、
同時にいつかおこるかもしれない崩壊の危険を共有しているのだ。
愛し合いながら、同時に壊れていくものがある。
恋のなかにある「僕ら」の甘さと危うさが強く出ていて、
1首全体から、香りのつよい香水のような印象があった。


086片  春の水に少しずつ足を差し入れる僕らは永遠(とわ)の片隅にいて


春先の湖か、海辺だろうか。
まだ冬の名残を含んでいるだろう、冷たい水にゆっくりと足をつけてみる。
その冷たさを共有するのは、僕らだけ。僕らのほかにはだれもいない光景がひろがっている。
ひんやりとした空気のなかの静かな儀式のようだ。
「永遠の片隅」という表現がはかなくて、なんだか厳かな雰囲気だと思う。
僕らはいつまでもは、一緒にいられないのかもしれない。
けど、ずっと記憶の中にこの光景は残っていくのかもしれない・・・。
今日の静かな出来事はあくまで、時間の大きな流れの中では片隅であり、
それ故の美しさなのだ。


090舌  舌打ちに転じる前のs音を取り残したまま送信をせり


メールを送信するほんの少し前の瞬間をうまく切り取ったな、と思う。
「s音」という極めて小さなところに着目している。
しかも、「舌打ち」になるはずだった音だから、いらいらした気持ちの残骸といっていいだろう。
相手に対してのイラついた気持ちを、なんとか抑えてのメールだろうか。
ぶつけるわけにもいかない気持ちが送信しおわった作者のまわりにだけ、
ごみ屑のように散らばっている感じがする。
「舌打ち」「s音」「残した」「送信をせり」といったサ行の音の連なりも
どこか乾いた気持ちや関係の表れとして面白い効果を出している。
すでに手元を離れていったメールと、まだ周りに残っている気持ちとの対比が
面白い1首だと思う。







去年の題詠2011で、彩乃さんは完走後に、
多くの方のお歌の鑑賞の記事を投稿しておられました。
そのブログを拝見していて、私も今回は鑑賞までやってみよう、とおもったので
今年の題詠で、今度は彩乃さんのお歌から選歌させていただけることには
なんだか感慨深いものがあります。

女性らしい感覚と、大胆で面白い発想や言い回しがミックスした感じのある
彩乃さんのお歌。
これからもどんどん上達していくんじゃないかなぁ・・・・と
期待しつつ、今後のお歌も楽しみにしたいと思います。



2012.12.16 Sun l 題詠2012 鑑賞 l コメント (2) トラックバック (0) l top
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